用を済ませ、水道の蛇口をひねり手を洗う。正面の鏡には薄暗がりに見慣れた自分の顔が映っている。何かあるはずの無いものでも映ってはいないかとしばし鏡を見つめるが、おかしなものなど映ってはいない。当然だ、と再び自嘲。しかし遠くから話し声のようなものが聞こえ、その笑みも消える。音は少しづつ近付いてくる。近付くにつれてそれが話し声と足音であることがはっきりとしてくる。今が昼間なら校内のいたるところで聞くことのできる物音だ。

 超常現象の有無を真剣に考えた事は無かったが、どちらかといえば彼は否定派だ。近付いてくるのが生身の人間にせよ、幽鬼物怪の類にせよ、発見されれば面倒なことに変わりは無い。そう考え息を潜めて廊下の様子を窺う。人数は少なくとも2人はいるようだ。男の声と女の声が聞こえる。女の声はやけに陽気で、静まり返った校舎には相応しくないように思えた。そして、そう思ったことにすぐに納得する。先ほどから聞こえていた無闇矢鱈と楽しそうな女の声は同じ声が複数同時に聞こえる。聞いたことのある声、彼をよくわからない部活に勧誘したあの双子の声だ。もうかなり近付いている。会話の内容も聞き取れる。どうやら都市伝説研究会に所属する彼以外の4人が部の活動として深夜の学校に忍び込んできたようだ。あの2人ならそれも不思議には思えない。

 彼も一応はその研究会の一員である。部員全員がここにいるということがなんだか可笑しく思えて苦笑。
「ここのトイレだよー」
「女子トイレに入ってもいいのかなぁ・・・」
「いーじゃん、誰もいないんだし」
「その花子さんとやらがいるんじゃないのか?」
聞こえてくる会話から、彼らがトイレの花子さんを調べに来たということがわかった。かなり昔に流行ったという小学校の女子トイレにまつわる怪談だ。
「花子さんって、小学校のトイレにいるんじゃないの?」
「見たって話があるよ、もちろんそんなはず無いけど、火の無いところに煙は立たないんじゃないかなーって。何かしら噂の原因はあるはずだよ」
「わざわざこんな時間に学校に忍び込む意味があるのか?」
「いーじゃん肝試しってことで」
「そゆこと」
都市研の面々が壁一枚を隔てた隣、女子トイレに入っていく。無視してさっさと帰ろうかとも思ったが、不用意に物音を立てては怪異の一端と思われてしまうかもしれない。

「はーなこさん、あっそびましょっ」

コンコンとノックをする音。暗さと静けさとが、水中のように音の伝達を良くするのだろうか。そんなことを独り想う。
「はいってまーす、あはは」
「そんなことを言ったのではもし本当にいたら出るに出られないだろう」
「僕もそう思う。祟られても知らないよ」
深夜の学校の、よりにもよって幽霊が出るという噂のトイレだというのに彼らは実に楽しそうだ。先ほどまでの静まり返った空間より余程異様な気すらした。

 しばらくの後、満足したのか彼らは帰って行った。改めて自分の置かれた状況に苦笑を浮かべながら、硬平はようやく男子トイレを出た。

 
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